2ヶ月近くに及ぶ自粛期間で、亀戸への想いが良い意味で(?)爆発してしまったカメイドタートルズ編集部のあるライター。

緊急事態宣言解除を待たずして、一心不乱にパソコンへと向かった彼女が書き上げたのが今回の企画、

亀戸を舞台にしたある男女の物語。甘酸っぱいストーリーに青春を思い出すもよし、現地で聖地巡礼するもよし。亀戸愛にとりつかれるがまま書き上げた、渾身の小説の第三話。

第二話はこちら!

【亀戸×恋愛小説】うそひめ 第三話

煎餅屋の男からはあれから数週間、連絡がなかった。「また連絡しますね」なんて、その場の社交辞令だったのだと思う。私は元彼の家に預けていたコートをクリーニング屋に出すつもりで家を出た。

元彼との初めてのデートで着たファーコートからは、彼がよく吸っていたタバコの香りと知らない女物の香水のにおいがした。私は彼の家にもう新しい女が引っ越してきていることを悟った。

元彼が私の荷物を送ってくれると声をかけたのは、私に服がなくて困っていると思った親切心からではない。新しい女の服を置く場所がないからなのだ。

私のコートは暗いクローゼットの中で、新しい女の服に追いやられ肩身の狭い想いをしていたに違いない。いつも仕事で忙しい男だ。もしかすると、私の服を畳んで段ボールに詰めたのだって新しい女かもしれない。

いっそのこと捨ててしまおうかと思ったが、それではコートがあまりにも気の毒だった。

クリーニング屋に寄った帰り、久しぶりに煎餅屋の前を通ると店のシャッターが閉まっていた。シャッターの張り紙を覗くと、店はしばらく休業しているらしかった。嫌な予感がして、私はあの日男に聞いていた連絡先にメッセージを送った。

音沙汰がないのだから、男は彼女とよろしくやっているはずだろう。私からの連絡を待っているわけがないと思うと、釈然としなかったが、最終的に私のプライドは良心に負けた。

その夜、私たちは男の仕事終わりに駅前の安居酒屋で待ち合わせをした。男を待っている間、私はレモンサワーを飲みながら、転職サイトの応募要項を眺めていた。

これまでいくつかの会社は面接までこぎつけたものの、結果はすべて不合格だった。事務職を狙っていたけれど他には特にやりたいこともないし、この際、決まるならどんな仕事でも良い。貯金だってまもなく底をつくし、家に籠もっているだけの生活にも飽き始めていた。

予定時間に十分ほど遅れたころ、男は店にやってきた。スーツに身を包み、私を見つけるとクマの透けた目元を細める。少し痩せたかもしれない。

しばらくして店のことを聞くと、男は声の調子を下げた。父親の容態が悪化したため、女将さんも付き添いの通院が増えたらしい。平日は店を閉め、週末だけ男が店に立っているそうだ。

「せめて、四月の藤まつりまで店が持てばいいんですけど」

藤まつりはゴールデンウィークの時期におこなわれる。この時期に店が創業したので、男の両親は毎年楽しみにしているという。普段以上の観光客が天神に訪れ、店も繁盛する。少なくとも藤まつりまで店が持てば、両親としても何よりだろう、と。

「……じゃあ、私が店番しましょうか? 日中は暇ですし」

男は一瞬明るい表情を見せたが、顔色はすぐに曇った。

「いえ、悪いですよ」
「でも」
「どうせ、長く続く店じゃないし」

店がいつまで続くかなんて、確かに分からない。でもこれまで店が続いてきたことは事実だ。この町に愛されて明治時代から続いてきたお店を、“どうせ”なんて言葉で片付けてしまえるのか。

あの店で私が煎餅を焼いた時、生地をひっくり返すタイミングを男が熟知していること、焼き立てがどんなに美味いか分かっていること、週末に店を手伝っていること、どれを思い返したって煎餅と店への思い入れもなしにできることじゃない。

「手伝わない方が、都合が良いんですか」
「いやいや、そういうわけじゃないですけど。関係ないあなたに手伝ってもらうなんて」
「関係ない? 店の客なのに!」
「まぁそうですけど……」
「じゃあ言いますけど、彼女さんのこと、そんなに好きなんですね。だから店なんていっそ潰れた方がいいと思ってるんじゃないですか」
「それは違います!」

男が声を荒げ、ほかの客の視線は一斉に私たちに注がれた。男は思いがけず大きな声が出てしまったようで肩をすくめた。周りはカップル同士で別れ話でもしていると思っているかもしれない。

でも、私たちが別れを告げるべきか話し合っているのは煎餅屋についてだ。このご時世に。昔懐かしい味なんて、知りもしない人たちばかりの令和に。

でも、私は、その懐かしさを求めている人が今でも確かに存在するのだと、焼き立ての煎餅を食べた時に知ったのだ。

身体をこわばらせている男を見て、私は彼が意図的に口を閉ざしていることに気付いた。

「中途半端なこと、やめた方がいいですよ。彼女がいるのに、ほかの女と飲みに行くとか」

どうしてこうやって嫌味を言ってしまうんだろう。男が自分の意思を差し置いてまで、彼女に惚れ込んでいることが馬鹿らしいのか、それほどまでに男に愛されている彼女が憎らしいのか。店を続けてほしい、という客としてのエゴが先立っているのか。常識人のような顔をして座っている男の核心に興味があるのか。

もしかすると、そのすべてかもしれない。

「恋人がいるのはあなたも同じじゃないですか。彼氏さんに悪いとは思わないんですか」
「……そうですね」

私は席を立ち財布を開くと、ぶっきらぼうにテーブルに二千円を置いた。財布の中の鷽は私をじっと睨んでいた。恋人なんていない。私はずっとひとりだ。

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

《次回予告》

嘘に嘘を重ねてすれ違う二人。「男」はついに自分の本心に気付く。

Edit by カメイドタートルズ編集部